山陰の旅・・萩

私は学生時代に3回大旅行を?!している。一つは四国、また一つは九州いずれも行きは友人と途中から一人旅でした。それから卒業間際の春休みに山陰、山陽の旅をした。これは一人旅。しかし途中から下宿で一緒だった友人の実家や親せきの家にとめてもらったりした。ここではこの山陰、山陽の旅を思い出しながら書いてみたいと思う。

東海道新幹線が開通して2~3年後あたりの事だから相当昔の話、だから多少記憶が曖昧なこともあるかも知れない。3大旅行のどれも東京からの均一周遊券で途中下車自由の大変便利なキップでした。但し、有効期間があり、確か10日間位でしたかね?新幹線にも別途特急券を買えば乗れたかもしれないが、乗った記憶がない。

行きは早朝京都で下車、苔寺を散歩した。昼前には天橋立へ向かう列車に、天橋立で予約なしでユースホステルに泊めてもらった。宿泊は2階でしたが、面白いことに階下へは垂直の棒に抱き着いてすべり降りた。もちろん階段はあったが多分緊急避難用だったと思うが、他にも客は居たが、降りる時は皆棒に抱き着いて降りていた。翌日いわゆる天橋立を歩いて渡り、丹後半島側へは回転橋を見ながら渡った記憶だ、今でもあるのかな?

丹後半島の先の方に 人間 という字を逆さにした 間人 という地名に引かれて、そこへ!タイザというらしい。そこに立派な公立の宿泊所があったが、その日の宿泊者は私ともう一人だけ、話し掛けてみると私同様今年卒業で、就職先は伊勢丹に決まっているとのこと、明治でスポーツをやっていたとかで立派な体をしていた。丹後半島は国鉄はなく、代わりにバスが走っていた。バスも均一キップで乗れた。

別に次の行く先を決めてなく、何となく三朝温泉へ、ここでも旅館はたくさんあったが、ユースホステルに泊めていただいた。翌日鳥取砂丘をぶらついたりしたあと、出雲大社へ、降りたとたん旅館の客引きのおじさんに捕まり、そのまま泊。

大社を見た後松江城へ行ったりしたが、あまり覚えていない。日御碕?カモメがいっぱい居る島で有名とかで出かけた帰りの船の中で、新婚旅行中の紳士淑女らしきお二人さんからチョコレートをいただいたのを覚えている。

美祢 の 西田君

松江駅から夕方友人の実家のある山口県へ向かう列車に乗った。まことに運の良いことに、夕日が宍道湖の上に!将に、シャッターチャンスだったが、残念ながらカメラを持ってなかった。その日の宿は取らず夜行列車泊、朝方美祢駅へ、駅で電話して友人に迎えに来てもらった。彼の実家は駅の目の前にあり金物屋を営んでいた。

西田君といって学年で2つ下、東京・新井薬師の下宿で一緒、日大芸術学部の写真科に通っていた。年齢も大学も違ったりしていたが、何となく気が合う仲でした。その彼が萩の街を案内してくれた。松下村塾等ももちろん案内してくれたが、周りの小さなお濠と云おうか小川と云おうかそんな中にコイなどが泳いでいる、ミカンの木が塀から覗いている風景は、私には新鮮に思えた。さらに、彼は芸術を勉強しているだけに萩焼について熱心に教えてくれた。それから秋芳洞!このスケールの大きさ、美しさには本当に驚いた。長い年月を掛けて、自然が作り出した芸術作品の様にも思えた。

その後私が東京で就職した頃はしばしば会う機会もあったが、私が浜松に帰ってからは一度も会ってない!どうしてるかな?元気で居てくれたら良いが、良かったら連絡くれ!昔と変わらぬ君も見たいが、変わった君も見てみたいよ!リモートでも良いから会いたいね!