俳句

鍋敷きの下宿住ゐの団扇かな 好延

私が50才になった頃、誘われて有馬朗人師の主宰する 天為 に入会し、それまで全く俳句とは縁のない生活していましたが、何か新しい物に挑戦しても良いかな!という気持ちもありやってみることに。


最初の一年間は、ただただ毎月五句を作り機関誌あて送付、すると一句か二句取り上げ掲載していただける、この一句か二句載りのうちはほとんど素人⁉私が入会した頃は会員数も未だそんなに多くなかったので、最初から二句載りが多かった。誘われた時は投稿会員ということでしたが、数か月過ぎた頃、浜松支部で毎月第四日曜日に句会があるから、五句作って出席して欲しい、旨伝達があり出席、行ってびっくり!総員30人前後だが男性は5~6人、中でも私は若手の1~2番!?

句会の先生は有馬師の奥さん(志賀直哉の姪とか)か大屋さんという弟子の方、といっても大手の銀行員とか、が多く、朗人氏も年数回位見えて、一緒に句会に参加していただき最後に特選句の発表そして講評される、といったパターンだった。持ち寄った五句は全てその場で作者が分からぬように書き写されて、回覧、出席者がめいめいに五句選句、それから読み上げ者が誰々選と順々に読み上げる、誰の句だろう?と周りを見わたす、この一瞬にスリル感が漂っていたような気がする。時には笑いが、どよめきが、うんうん納得といった様な雰囲気があった様な気がする。

自分の句が選句されない時もしばしばであったが、誰が選句してくれようが点数が一点でもあれば私は満足していた。ベテラン参加者は先生の特選を目指していたのは当然!ですが、私も二年目位のある日朗人師が特別に見えた日があり、その時の句が掲句である。大学受験浪人の頃、東京で友人二人とアパートに住んでいた頃を思い出して作った句で、朗人師が支部の皆の前で特選に読み上げていただいた句です。朗人師とは直接会話したことは数回程度ですが、高校の大先輩でもあり、かなり親近感を持って接していた気がする。私は10年ほど続けたが、仕事なども忙しく、俳句に打ち込めなくなり退会した。

昨年でしたか、朗人師の訃報を聞きましたが、師の独特な語り方が今でもはっきりと思い出されます。ご冥福をお祈り申し上げます。好延